国会議事堂

キャリアの形成は人さまざまですが、誰もが知る著名人のたどってきた足跡を調べてみると、意外な経歴に共感できたり、新たな発見を得られるものです。
今回は新元号「令和」の発表で誰もが目にすることになった、現内閣官房長官「菅義偉」について紹介していきます。
テレビでみかけることも多い菅官房長官は、どのようなキャリアをたどってきたのでしょうか。

生い立ちと経歴

菅義偉氏は秋田県湯沢市の出身です。幼少期は自然豊かな環境で育ち、長男として実家の農業の手伝いをしながら高校を卒業しました。
はじめからエリートの道をたどってきたわけではなく、上京は集団就職で、段ボール工場に勤めていたといいます。
一度は就職しましたが、「視野を広げたい」という理由から大学への進学を決意。当時築地市場でアルバイトをしながら試験勉強をするという生活を2年間過ごしたそうです。
大学は、そのころ私立大学のなかで学費が最も安かった法政大学へ入学。卒業までの間も大学に通いながらアルバイトで学費を稼いでいたといいます。

キャリアや功績

民間企業に就職した後はサラリーマンとして生活していましたが、菅氏が26歳のころ、政治の道へ進むことを決意。とはいえ政治の世界につてがあったわけでもなかったので、大学の学生課をたより国会議員のOBがいる国会議員事務所へ紹介を受けます。小此木彦三郎元通産大臣の秘書として勤めていました。
安倍内閣時代に総務大臣に就任してからは、ふるさと納税、NHK問題、郵政民営化などにたずさわり1年間で19の法律を作るなど実績を作ってきました。

菅義偉氏の性格

菅氏は真面目で信念が強く、毅然とした態度を曲げない性格といえます。
国際的な問題について言及を求められた際なども、和を重んじて穏便に済まそうとする日本人的な姿勢とは相対した毅然とした姿勢が垣間見れます。
法政大学時代から空手をされていますが、空手を始めた理由は厳しいところで自分を鍛えたいとの思いからなのだそう。
視野を広げるために働きながら大学へ進学したり、自分を追い込むために空手を始めるなど若いころからストイックな方だったことがうかがい知れます。
政治を志し横浜市市会議員に立候補した当時も、現職の有力議員が対立候補でバックアップもないなか1日300軒を歩き続けるなど、地道に行動を積み重ねる並々ならない意思の強さを持たれている方です。

官房長官として在任期間が長く、ニュースなどで目にすることの多い菅氏ですが、意外な経歴とストイックすぎる性格を知ると、また違った視点で見えてきますね。

改めて菅義偉氏の学歴が注目され法政大学の入学を目指す人も増えるのではと言われています。
私立の名門MARCHの1つである法政大学に入学し、菅義偉氏と同じように政治家を目指したい人は、大学について詳しく調べてみるとよいでしょう。

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